街頭演説集

第28回 投票率向上策

政治家の資質改善と主権者教育が投票率向上の鍵!

Facebook 2016.2.9

 本日の街頭演説は、風が強く、幟が倒れそうになることしばしばでしたが、最後までやり遂げました。

 さてテーマは、投票率向上策についてです。
 私が初当選した平成7年時の呉市議選の投票率は 62.92%でした。その後4年に一度の改選毎に低落傾向を辿り、昨27年には50.04%と、近年における最低を記録しました。次回は有権者年齢が18才に引き下げられたことも伴って、5割を切るのではないかと危惧されています。過半数に満たないということは、呉市議会そのものが市民の付託を受けたとは言い難い状況を意味します。
 これは呉市に始まったものではなく、全国的に見ても投票率の低下に歯止めがかならない情勢にあるのではないでしょうか?特に都市圏では投票率の50%割れは、珍しくありません。
 そこで国は、平成15年に公職選挙法を改正し、それまでの不在者投票に加え、期日前投票の条項を新たに追加しました。
 これまでは、告示日に立候補を届け出て、各候補が政策等を訴え、この選挙運動期間を経た後に、投票日に投票して議員を選択するというのが、本来の投票の意義です。例外的に、投票日当日、出張や旅行等で住所地にいないことが明白な場合に限って不在者投票が例外的に許されていたのです。ですから理由付けも文章で書いた上で、密封してから投票終了後に開票していました。
 ところが、期日前投票は形は例外としながらも、これまでの不在者投票と違って、理由付けは○で選択する簡易なもので、そのまま投票箱に投じる手法です。この方法を国は推奨しているのですから、事実上は投票行為の例外ではなくなって来ています。近年は、期日前投票が浸透しつつあり、投票数の2割を超えたりして来て、投票の例外ではなく、一形態になった感があるのです。
 これでは選挙運動期間は一体何のためにあるのかという、根本に疑問が生じて参ります。呉市議選では1週間かけて選挙区を巡り、投票依頼をするのですが、告示の翌日から投票して構わない訳ですから、複数の候補の政策を聞き分けて投票行動を決めるという、政策本位とは無関係になって、単に投票所へ足を運べばよいとう、安易な考え方に陥っているのです。つまり、改正公職選挙法の追加条項である第48条の2そのものが矛盾した内容であることを政府は認め、原点に立ち返る必要があります。
 一方呉市では、合併後投票区の範囲が合併町と旧市内とで格差があるとして、これを是正しました。例えば郷原町では大積を含めた広い区間に1箇所した投票所がないことに対し、倉橋町等では小字や字毎に投票所が設置されていました。投票に係る行動距離に大きな差があり、不公平であった訳です。それを2kmを一つの基準として、複数の集落で投票区を統合したりしました。その結果、合併後の市内127箇所の投票区を97箇所に統合したのです。
 そうなりますと、投票所が遠くなった所に不満が出ます。実際この投票区体制での初選挙は平成23年の統一地方選挙でした。確かに投票率は下がりました。
 そこで呉市は投票率向上のため、昨年の統一地方選挙から、統合して遠くなった区域に限定して、送迎バスを投票日に2往復出すことを予算化したのです。具体的には朝10時と午後3時の2回です。その結果、このバスに乗車して投票した有権者はそんなに多くはありませんでした。そこで今後の選挙においては、広報を周知徹底するとしていますが、問題をはき違えています。
 そもそも投票所へ足を運んで頂くために有権者にこびへつらうような施策に疑問を感じますし、これでは不公平を無くす目的で統合したのが、統合した地域に限定しての送迎バスということは、郷原は当然対象外となりますから、新たな不公平が生じるということなのです。
 南アフリカ共和国で近年アパルトヘイト政策が終焉を遂げ、黒人に投票権が解禁されました。その初選挙では、投票所に黒人が長蛇の列を築いたといいます。それまで投票権を与えられていなかった彼らにとって、自らの一票が政治を動かす原動力になることは感無量だったに違いありません。
 結局投票率向上策は、先ず政治家が変わらなければならないのです。
 例えば呉市では、戦後一度も市長提案を否決したことがありません。これでは議会の存在意義が薄れてしまい、議員はいらないとか、誰が当選してもどうせ政治は変わらないから投票に行っても無駄だ、という市民意識に繋がって行くのです。
 広島市議会が近年安佐市民病院の移転を巡って、市長提案を否決したことがあります。そうすればマスコミは面白いように報道しますし、市民もそれだけ関心を持ちます。このようなことが時々起こらなければ、市民の政治への関心を呼び込むことは困難でしょう。
 もう一つは、教育です。義務教育の学習指導要領には主権者教育が明確に謳われていません。ところが次回の参院選から有権者年齢が18才になることで、文科省の指示で、高校では主権者教育に乗り出しました。このような教育は遅きに失したと言えましょう。
 私は、小手先の施策で有権者にこびへつらう手段ではなく、議会での議論の深化と併せ、主権者教育や、世のために生きるという道徳教育を充実することでしか、投票率向上は果たせないと考えています。

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