一般質問の持ち時間縮減はチェック機能の弱体化を生む!
Facebook 2016.11.14
去る11月7日は65回目の街頭演説。テーマは議会一般質問の持ち時間についてです。 先ず一般質問とは、議員に付与された、市政全般につき当局に対し質問する権利のことで、議会の定例会毎に行使できます。年4回の定例会の内、呉市では3月定例会のみ予算総体質問に位置付けておりますので、それ以外の年3回の定例会の場合を一般質問と呼んでいます。
更に呉市議会では、会派制を採用しており、同じ一般質問でも、会派を代表する場合を代表質問、会派ではなく議員個人の立場で行う場合を個人質問と位置付けています。
会派とは、似た様な考えを持つ議員がグループを作ることで、呉市議会では3人以上を「会派」と定義しています。因みに私は平成24年3月定例会から最大会派を離脱し、自然共生党を起ち上げ独立しましたので、代表質問はできなくなり、その代わり、定例会の度に毎回個人質問としての一般質問を行っているところです。
さて、一般質問の持ち時間ですが、代表質問、個人質問に関わりなく、役人の答弁時間を含め60分でした。以前は一括質問、即ち20分の質問、10分の再質問、10分の再々質問で、答弁を含まず40分だったのを、一問一答方式に代え、傍聴者にも、質問する議員、そして答弁する役人にも解り易くしたことで、答弁を含めて60分となったものです。
ところが、私が会派を離脱してから一部会派の提案で、個人質問の時間を60分から20分に短縮しようとの動きが出ました。これは、呉市議会は会派制を採っているのだから、会派でない議員との差別化を図ろうとする考えがベースとなっています。しかし僅か1/3に減らすのですから、これでは余りにも横暴です。
そこで他の会派は、せめて40分にしたらどうかとの意見が出たのですが、提案会派はその主張を一歩も譲ることはありませんでした。議会運営委員会で何回か議論しましたが、平行線を辿るばかりで、妥協案として、その中庸を採って30分にするという案が水面下で折衝されていたのです。
その時、この動きを嗅ぎつけた地元新聞がこの動向を記事にしました。その際、議会運営委員長がインタビューに応じ、「議員の質問時間を縮減することで一番助かるのは市の執行部である。それを手助けすることになる訳だから、議会の権能において自ら首を絞めることになりかねない。」と正論を述べられ、それが記事として掲載されました。丁度最後の議会運営委員会でこの問題に結論を出す一日前のことです。これが大きな影響力を発揮し、翌日の議会運営委員会で、20分の当初案でもなく、30分の折衷案でもない40分に決定したのです。これが平成24年12月定例会から採用されることとなり、現在に至っています。
その最初の定例会個人質問の直前、議長は、「本日から持ち時間が縮減されたので、質問される議員は、挨拶言葉とか枕言葉とかを省略するよう工夫を行って下さい」と発言したのです。「それなら持ち時間を縮減しなければよかったのに」と思わざるを得ませんでした。
確かに40分では、十分な質問を行うことはできません。私などは、用意した質問が時間内に収まり切らない場合がちょくちょくあります。これでは議員の使命である、執行部へのチェックがおざなりになりかねません。最近の一般質問傍聴者のアンケートを見ましても、「40分では時間が少ない」との感想が、市民から飛び出しているのです。
ところで、非会派の議員は、議長を例外とし、私を含め現在7名いますが、その殆どが定例会毎に一般質問をして、市の姿勢を糺しています。これに対して会派所属議員は、代表で質問するため、2年か1年に一度しか一般質問されません。これでは非会派議員が目立つということが、この議論の背景にあります。但し会派所属議員であっても、やろうと思えば、毎回個人質問がルール上できますので、このことは全く理由になっていません。
一方、個人質問の場合は、市長は一切答弁に立たれません。例えばよく共産党議員が「この質問に対しては市長の答弁を求めます」と要請するのですが、一切市長は答弁に応じず、他の部長クラスが代わって答弁するのみです。因みに共産党は2名しかおらず、会派を組めないため、私と同様個人質問しかできない訳です。すると、傍聴者アンケートでは、「何故市長が答弁しないのか?」「これでは市長を選んだ意味がない」などの声が出る始末です。
確かに質問への答弁を誰がするのかは執行部が決めることで、議員が決めることではありません。また市長が答弁しても部長が答弁しても、個人が答弁しているのではなく、あくまで執行機関として答弁しているのだから、中身は一切変わらないというのが、市長の考えです。それはそれで正しいのですが、この質問には当然市長が答弁するだろうと、誰が考えてもそう思えるような場合でも、部長が答弁される場面が頻繁に出現しているのは事実です。他の議会では先ずこの様なことはありません。
実は、これには背景があるのです。と申しますのも、同じ一般質問でも代表質問の場合は、必ず1回は市長が答弁に立っているのです。つまり、会派と非会派との差別化を図ろうとする動きが水面下であるのです。市長は過去にオフレコで、「議会からの申し入れで個人質問には答弁に立たないよう釘をさされている」と漏らされたことがあります。この申し入れは文書化していませんので、勿論表の話ではありません。「個人質問はレベルが低いから、市長が答弁するには及ばない」との考えが根底にあるように感じざるを得ません。
但し呉市長の場合、答弁が丁寧で結構時間を割かれるため、持ち時間が40分では、質問する方も時間が浪費されるので困るという事情もあります。結果論ですが40分の持ち時間では、市長が答弁に立たないことが逆に助かっているという側面もありますね。
また、呉市議会では答弁する側の反問権を認めていません。これは議会が決めたことです。反問権というのは、議員が質問した内容に疑問を持った役人が、議員に対して逆質問することです。2年程前、上越市長が初めて反問権を行使して、歴史的事件としてマスコミに採り上げられました。
実際、市長と議員の思想・信条や政策論に隔たりがある場合に反問権が行使されることが多いため、議論が平行線になることは歴然としています。しかし、傍聴する市民は興味をそそることでしょう。この方が議会が活性化することは請け合いです。但し、その前提には持ち時間の確保が必要でしょう。例えば持ち時間には役人の答弁時間を含まないとすれば、反問権は大いに行使してもらってもよいと考えます。私は基本的には、議論が深まるので反問権には大賛成です。
呉市議会も、過去議会運営委員会でこのことが議題に上ったことがありましたが、いずれも時期尚早として採用を見送っています。これは、反問権を行使されたら議員が逆答弁を迫られるので、よくよく勉強していないと執行部に太刀打ちできないとの思いが、多くの議員の脳裏をかすめているようです。
私は議員が勉強することは、そもそも議員力を向上させ、ひいては市民にとってプラスに作用するので、非常によきことだと思っています。開かれた議会、そして議長が標榜されている強い議会を目指すのであれば、個人質問への持ち時間も代表質問と同様に確保した上で、反問権を認めるべきというのが、私の考えです。
更に呉市議会では、会派制を採用しており、同じ一般質問でも、会派を代表する場合を代表質問、会派ではなく議員個人の立場で行う場合を個人質問と位置付けています。
会派とは、似た様な考えを持つ議員がグループを作ることで、呉市議会では3人以上を「会派」と定義しています。因みに私は平成24年3月定例会から最大会派を離脱し、自然共生党を起ち上げ独立しましたので、代表質問はできなくなり、その代わり、定例会の度に毎回個人質問としての一般質問を行っているところです。
さて、一般質問の持ち時間ですが、代表質問、個人質問に関わりなく、役人の答弁時間を含め60分でした。以前は一括質問、即ち20分の質問、10分の再質問、10分の再々質問で、答弁を含まず40分だったのを、一問一答方式に代え、傍聴者にも、質問する議員、そして答弁する役人にも解り易くしたことで、答弁を含めて60分となったものです。
ところが、私が会派を離脱してから一部会派の提案で、個人質問の時間を60分から20分に短縮しようとの動きが出ました。これは、呉市議会は会派制を採っているのだから、会派でない議員との差別化を図ろうとする考えがベースとなっています。しかし僅か1/3に減らすのですから、これでは余りにも横暴です。
そこで他の会派は、せめて40分にしたらどうかとの意見が出たのですが、提案会派はその主張を一歩も譲ることはありませんでした。議会運営委員会で何回か議論しましたが、平行線を辿るばかりで、妥協案として、その中庸を採って30分にするという案が水面下で折衝されていたのです。
その時、この動きを嗅ぎつけた地元新聞がこの動向を記事にしました。その際、議会運営委員長がインタビューに応じ、「議員の質問時間を縮減することで一番助かるのは市の執行部である。それを手助けすることになる訳だから、議会の権能において自ら首を絞めることになりかねない。」と正論を述べられ、それが記事として掲載されました。丁度最後の議会運営委員会でこの問題に結論を出す一日前のことです。これが大きな影響力を発揮し、翌日の議会運営委員会で、20分の当初案でもなく、30分の折衷案でもない40分に決定したのです。これが平成24年12月定例会から採用されることとなり、現在に至っています。
その最初の定例会個人質問の直前、議長は、「本日から持ち時間が縮減されたので、質問される議員は、挨拶言葉とか枕言葉とかを省略するよう工夫を行って下さい」と発言したのです。「それなら持ち時間を縮減しなければよかったのに」と思わざるを得ませんでした。
確かに40分では、十分な質問を行うことはできません。私などは、用意した質問が時間内に収まり切らない場合がちょくちょくあります。これでは議員の使命である、執行部へのチェックがおざなりになりかねません。最近の一般質問傍聴者のアンケートを見ましても、「40分では時間が少ない」との感想が、市民から飛び出しているのです。
ところで、非会派の議員は、議長を例外とし、私を含め現在7名いますが、その殆どが定例会毎に一般質問をして、市の姿勢を糺しています。これに対して会派所属議員は、代表で質問するため、2年か1年に一度しか一般質問されません。これでは非会派議員が目立つということが、この議論の背景にあります。但し会派所属議員であっても、やろうと思えば、毎回個人質問がルール上できますので、このことは全く理由になっていません。
一方、個人質問の場合は、市長は一切答弁に立たれません。例えばよく共産党議員が「この質問に対しては市長の答弁を求めます」と要請するのですが、一切市長は答弁に応じず、他の部長クラスが代わって答弁するのみです。因みに共産党は2名しかおらず、会派を組めないため、私と同様個人質問しかできない訳です。すると、傍聴者アンケートでは、「何故市長が答弁しないのか?」「これでは市長を選んだ意味がない」などの声が出る始末です。
確かに質問への答弁を誰がするのかは執行部が決めることで、議員が決めることではありません。また市長が答弁しても部長が答弁しても、個人が答弁しているのではなく、あくまで執行機関として答弁しているのだから、中身は一切変わらないというのが、市長の考えです。それはそれで正しいのですが、この質問には当然市長が答弁するだろうと、誰が考えてもそう思えるような場合でも、部長が答弁される場面が頻繁に出現しているのは事実です。他の議会では先ずこの様なことはありません。
実は、これには背景があるのです。と申しますのも、同じ一般質問でも代表質問の場合は、必ず1回は市長が答弁に立っているのです。つまり、会派と非会派との差別化を図ろうとする動きが水面下であるのです。市長は過去にオフレコで、「議会からの申し入れで個人質問には答弁に立たないよう釘をさされている」と漏らされたことがあります。この申し入れは文書化していませんので、勿論表の話ではありません。「個人質問はレベルが低いから、市長が答弁するには及ばない」との考えが根底にあるように感じざるを得ません。
但し呉市長の場合、答弁が丁寧で結構時間を割かれるため、持ち時間が40分では、質問する方も時間が浪費されるので困るという事情もあります。結果論ですが40分の持ち時間では、市長が答弁に立たないことが逆に助かっているという側面もありますね。
また、呉市議会では答弁する側の反問権を認めていません。これは議会が決めたことです。反問権というのは、議員が質問した内容に疑問を持った役人が、議員に対して逆質問することです。2年程前、上越市長が初めて反問権を行使して、歴史的事件としてマスコミに採り上げられました。
実際、市長と議員の思想・信条や政策論に隔たりがある場合に反問権が行使されることが多いため、議論が平行線になることは歴然としています。しかし、傍聴する市民は興味をそそることでしょう。この方が議会が活性化することは請け合いです。但し、その前提には持ち時間の確保が必要でしょう。例えば持ち時間には役人の答弁時間を含まないとすれば、反問権は大いに行使してもらってもよいと考えます。私は基本的には、議論が深まるので反問権には大賛成です。
呉市議会も、過去議会運営委員会でこのことが議題に上ったことがありましたが、いずれも時期尚早として採用を見送っています。これは、反問権を行使されたら議員が逆答弁を迫られるので、よくよく勉強していないと執行部に太刀打ちできないとの思いが、多くの議員の脳裏をかすめているようです。
私は議員が勉強することは、そもそも議員力を向上させ、ひいては市民にとってプラスに作用するので、非常によきことだと思っています。開かれた議会、そして議長が標榜されている強い議会を目指すのであれば、個人質問への持ち時間も代表質問と同様に確保した上で、反問権を認めるべきというのが、私の考えです。