Facebook 2020.6.26
緊急事態宣言を受け、各県で休業要請がされ、外出自粛、県外移動自粛と、経済活動に多大な支障を及ぼしました。この様に経済全体への波及は過去類例を見ません。
そこで先ず政府は、令和2年度補正予算案を去る4月7日に閣議決定した際、その目玉施策として、3割減収世帯に対し、所得制限を設けた上での生活支援臨時給付金30万円を盛り込みました。対象世帯は2割程度に止まるため、予算規模は4兆円です。
ところが、公明党による政治的圧力で前代未聞の閣議決定変更があり、無条件で全国民に一律10万円を給付する特別定額給付金にとって代わったのです。予算規模は12兆8千億円に膨れ上がりました。これらの財源は全て国の借金である赤字国債の発行です。
ここで問題になるのは、100年に一度の経済危機だから赤字国債発行は許されるという考えが内在していることです。2008年には世界的金融危機であるリーマンショックが発生し、その当時の麻生首相は、やはり「100年に一度の経済危機」と訴え、大盤振る舞いをしています。あれから12年も経たない内に、また100年に一度の経済危機とはどういうことでしょうか?以後大胆な金融緩和施策を推し進め、国債を事実上日銀に購入させ、財政法第5条で禁じている財政ファイナンスを行いました。それに輪をかけ、この度は日銀の80兆円の国債受け入れ枠を撤廃するという歴史的異次元緩和を断行したのです。
もう一つは、アメリカから輸入されたMMT(現代貨幣理論)が猛威を振るっていることが要因に挙げられます。これは「インフレにならない限り、自国立て通貨による赤字国債発行は、国家財政破綻には繋がらない」という大胆なものです。これは国会における政府や日銀答弁でも認めたこともあって、理論上は間違っておりません。この理論をうまく利用して、社会主義者が最低生活保証であるベーシックインカムを主張し、国民の支持を得ようとしているのが現在の我が国の政治情勢です。コロナ禍対策に係るこの度の国民への一律給付は、ベーシックインカムの走りです。
しかし、金融バブルがはじけますと、多くの方が経済的損失を被り、担保物権は差し押さえられ、リーマンショックを遥かに超える金融破綻が到来することは時間の問題です。国家財政は破綻しなかったにしても、ハイパーインフレのリスクを抱えつつ、金融破綻する可能性があるのです。MMTは信用創造による無から貨幣を創り出すことを前提とした理論ですが、本来その構造である中央銀行制度そのものに問題があるのであって、本質をはき違えており、多大な副作用を秘めているのです。
生活保護を認定されると麻薬中毒の様にそこから抜け出せなくなる実態があります。つまり、努力すれば職に就けるのを敢えて職に就かず、だらだらと給付を受け続ける甘えの構造が蔓延することです。
ベーシックインカムはこの対象を更に国民全体に広げることになりますので、労働意欲をそがれ、年金保険料を支払わないニートがちまたに溢れ、将来生活保護の対象になるという悪循環となります。労働人口が増えないと、外国からの労働者受け入れを更に職種を拡げる移民政策に近いものになりますし、治安悪化の要因にもなり得ましょう。これらが、MMTを利用したベーシックインカムの副作用です。
国民一人当たり10万円のばらまきで問題なのは、公務員や年金生活者等、新型コロナによる収入減とは無縁な人にも等しく給付されるという点です。やはり、収入減に応じた公的給付をするのが、本来の在り方でありましょう。
そして、新型コロナをもってしても収入減にならない世帯はまだあります。それは生活保護世帯です。にも関わらずその方々へも等しく給付され、これが収入認定対象外となりましたので、憲法を根拠とする生存権の保証、即ち最後のセーフティーネットである、最低限の生活保証を越えることになるのは明白です。ここに大きな不公平感があり、これを指摘した国会議員は皆無なのです。弱者切り捨てと批判され、選挙に響くから黙っておいた方が得策という本音が見え隠れします。
やはり新型コロナによる影響のある世帯や事業者を救済する方針を基本とし、予算の贅肉を取り、赤字国債発行を可能な限り抑制する姿勢が政府として必要です。
この様な背景の下に、去る6月12日に成立した政府による令和2年度第2次補正予算も、全額赤字国債が財源ですので、将来に付けを残す施策と言えましょう。
その中には、ひとり親世帯臨時特別給付金1,365億円が含まれていました。これも公明党が官邸に圧力をかけた結果と思われ、児童扶養手合受給者に対し5万円、子ども二人目以降は一人につき3万円が加算されます。呉市議会では6月22日、全額国庫財源として、1,825世帯2億円の予算を可決しました。
実は、呉市においては去る5月27日の臨時会で補正予算を可決した際、ひとり親世帯応援給付金が入っていたのです。これは呉市独自の支援策で、対象は1,932世帯、額にして1億円です。類似の国の制度より対象が若干多いのは、児童手当受給者に加え、ひとり親家庭等医療費受給者が対象になるからです。但し、世帯当たり5万円で、国と違って子ども扶養加算はありません。
呉市において、国と重複している施策は子育て世帯応援給付金がありますが、こちらは国の子育て世帯臨時特別給付金同様、児童一人当たり1万円給付です。ひとり親世帯への給付額は基礎額5万円ですから、これが重複すると世帯当たりに大きな給付がなされることになります。
母子家庭で、3才以上の子ども二人を養っているモデルケースをみてみましょう。
先ず特別定額給付金3人分で30万円。次に国の子育て世帯臨時特別給付金が2万円。国のひとり親世帯臨時特別給付金が8万円となります。これに呉市の子育て世帯応援給付金が2万円、ひとり親世帯応援給付金が5万円です。これらの一時金収入を合計すると、47万円にもなります。扶養児童が更に増えれば、額は更に膨らみます。
それらに加え、元々あった児童手当が2万円、児童扶養手当が5万3,350円で、計7万3,350円が毎月支給されるのです。これでは大判振る舞いとなり、特にひとり親世帯への給付額は大きいので、国のひとり親世帯臨時特別給付金の対象から漏れた方を、呉市のひとり親世帯応援給付金で救済し、重複を避けるべきと考えます。
私はこの点を、去る6月19日の予算委員会でぶつけました。これにはたまらず市長自らが答弁に立たれ、この施策は国の施策と重複することが当初から分かっていて、市長の確信犯による独断だったことが判明しました。これに意を唱える役人は皆無で、市長トップダウンの指示におとなしく従ったことになります。つまり役人は、市長のイエスマンでないと出世できないのです。だからその疑問をぶつけるのは、市民から付託を受けた議員しかおりません。
呉市独自策においても、一部財源はコロナ対策に係る地方創生臨時交付金であり、国庫支出であり、血税です。よってできるだけ国との重複は避け、その財源を他のコロナで苦しむ事業者等への救済策に回すべきと考えます。
結局この様な未曾有の国家的危機にこそ、「米百俵」の精神を想い起こすことが肝要です。
明治維新に係る戊辰戦争で幕府側についた長岡藩が領土を1/3に減じられ、藩の財政が困窮し、庶民においても食糧難に陥りました。当時、支藩である三根山藩から米百俵が贈られたのですが、藩の大参事だった小林虎三郎は、それを学校設立の原資に回したのです。大参事(だいさんじ)は、「一時の対症療法ではなく、藩の将来を担う人材育成こそが大惨事(だいさんじ)を救済する鍵を握っている」と藩士に諭したのでした。
これが義務教育の走りとなり、3年後の明治6年に全国に公立学校が設立されたのです。この精神は義務教育課程で教えるべきであり、それがなされていないため、ばらまき福祉で政権を維持しようという衆愚政治がはびこるのです。