街頭演説集

第32回 くれ絆ホールに係る問題点

くれ絆ホールのピアノ購入費に、試し弾き予算が未計上!

Facebook 2016.3.7

 本日は、テーマバックミュージックである「炎のランナー」が復活する中、春爛漫の街頭演説となりました。
 テーマは、一昨日オープンしたばかりの呉市新庁舎に併設された「くれ絆ホール」に係る問題点です。
 くれ絆ホールは市民会館の代替施設であって、市民ホールの愛称です。昨年9月定例会で可決された、呉市民ホール条例での貸し館使用料について考察してみましょう。この種の市民への貸しホールや貸し室には、主催使用者から負担金としての使用料を徴収する規定となっています。
 通常は、基本使用料設定には、施設に係る建設コストを反映させて算出されます。平成25年度からは施設使用料は呉市全域で全面的に見直され、値上げや値下げを交え、公平な使用料と致しました。
 さて、絆ホールは可動席となっていますが、これは固定席と比べ通常より建設費が2割程度余計にかかっているのです。
 ところが、固定席ホールと比較して逆に安価に設定されています。具体的には平戸間式使用料を1時間当たり3,300円に設定し、1・2階部分の可動席加算として8千円が設定されました。つまり、可動席として1日12時間使用すれば47,600円となって、固定席ホール相場の8万円と比較すると随分安価なのです。しかも可動席を全自動で収納して平戸間にするには、余計な電気代がかかりますし、その操縦は専門業者への委託ですから、その人件費が上乗せされるのです。
 ところで、呉市における集客貸し館は、基本使用料は入場料徴収しない場合に設定し、入場料を徴収する場合は、基本使用料の1.5倍、商業目的で使用する場合は、3倍に設定しています。きんろうプラザ、旧福祉会館、生涯学習センター(つばき会館)の各室、体育館の会議室、まちづくりセンターの各室や多目的ホールがそうです。
 絆ホールは、入場料徴収の場合は基本使用料の1.5倍ではないのです。具体的には3段階に分かれておりまして、入場料300円以下の場合は2.5倍ですが、301円以上1,000円以下の場合は丁度3倍、1,001円以上の場合は3.5倍に設定されています。これは商業目的の3倍規定に加えて、入場料の高低でより多く使用料を徴収できるように設定したものです。
 しかしこのため、商業目的でなくても入場料を301円以上徴収するだけで3倍、若しくはそれ以上になるのです。これでは市民団体の生涯学習を阻害する要因となってしまいます。例えば、遠方から講師を呼んで文化・芸術目的や啓発講演会を開催する際、当然講師謝金や旅費が発生しますし、会場費や広報宣伝費等で運営費を賄うには、有名な講師であればそれだけ入場料に転嫁する必要があります。それでも商業活動なみの3倍以上も使用料負担をしなければならないのです。
 実は同様の規定は、文化ホールを筆頭に、広、音戸、川尻、安浦、豊各まちづくりセンターホールがありました。大ホールは興行、即ち営利目的が殆どですから、商業活動の3倍規定に加えて、入場料を3段階に分けての使用料設定だったのです。
 私は、これらの矛盾を指摘していますが、今後もこの改訂に力を注ぐ所存です。
 一方絆ホールには、ドイツ・ハンブルグ工場製のフルコンサートピアの「スタインウェイ」が納品されました。これも昨年9月定例会で、物品取得契約として議決されました。財源は民間人からの寄附です。機種選定は、有識者で構成する選定委員会が行いました。
 問題は、発注仕様書を見ますと、購入条件に、3台以上の本社保証書付き同種ピアノを試し弾きして確定する、となっていることです。当然試し弾きするには、ピアニストに東京にあるスタインウェイ・ジャパン社を訪れてもらわねばならず、旅費が同伴の呉市職員と共にかかります。勿論著名人であれば、それだけ多くの謝金も必要です。
 ところが、予算には試し弾きに係る費用が計上されていなかったのです。絆ホールは既にオープンしましたので、ピアノは既に購入されましたが、補正予算は議会に提案されませんでした。他の予算を流用するか、予算と落札額の差額で埋めるしかありませんが、恐らく後者だったと思われます。
 また過去文化ホールの際は、広島音楽大学助教授が試し弾きをされましたが、当局が豪語するように、ピアニストが試し弾きしたことで、グレードアップに繋がったという話は市民からは全く聞いたことがありません。
 ましてや、選任されたピアニストの個性や嗜好によって、選定するピアノが異なって参りますが、どのピアノが選定されても保証書付きですから優劣とは無縁な訳です。しかも、川尻町や安浦町の大ホールへ納入されたピアノでは試し弾きはありませんでした。
 そもそも試し弾きの必要性から議論すべきなのを、過去の悪しき慣例に倣って、予算未計上で試し弾きありきで発注すること自体が、議会軽視の何物でもありません。余計な血税投入は避けるのが本来の姿です。行政は安易に慣例に囚われることなく、心してかかるべきだったのです。
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