街頭演説集

第191回 学校選択制度の破綻

学校統合による学校選択制度が知らぬ間に歪められた!

Facebook 2019.6.8

 去る6月3日は191回目の街頭演説。テーマは学校選択制度の問題点についてです。

 学校選択制度とは、公立小中学校において殆どの市町が校区制を採用しており、そのことで逆に遠方の学校を選択せざるを得ない矛盾を解消するために創設した制度です。呉市では平成10年代半ばから公式にスタートしました。
 例えば、校区内の小学校より、別の校区内の小学校に通学する方が距離が短い場合などがこれに該当致します。
 そもそも何故校区制かと申しますと、自由に公立小中学校を選択できるようにすると、その年々の校長の教育方針や優秀な教諭在任により、児童生徒の人気が偏ったり変動することで、児童生徒数が一様にならないためです。変動することで校舎や運動場のキャパを超えることになったり、逆に教室に余剰が出たりで、公立(こうりつ)としての学校運営に支障を来し、不効率(こうりつ)となるからにほかなりません。
 校区制故に通学に係る道のりが逆転する場合の救済策として、学校選択制度が登場したのです。この場合、隣接の校区であって、新入学または転校時に限って校区外学校の選択を認めるというものです。
 小学校の場合は殆どスムーズに行くのですが、中学校の場合は若干異なって参ります。即ち、元々遠方のため、バス等通学費の全額補助が出ている場合、より近い校区外の学校を選択しますと、自己都合であることから通学費は全額自己負担になります。
 但し、学校統合の場合は別で、統合により学校が遠方になった場合に通学費補助が出るのは、呉市都合による統合ですから当然です。その際校区外を選択し、それに通学費がかかる場合は、これは自己都合ですから自己負担になるのです。このようなケースは、特に旧市内の学校統合に係っては、実例がありませんでした。
 ところが、平成23年度における音戸町内の小学校統廃合の時に、密かに例外を作っていたことがこの度判明したのです。即ち、当時8校あった小学校は3校に集約されることで5校が廃校になりました。具体的には、音戸、高須各校が統合して、高須小の位置に音戸小学校を創立、奥内小学校は波多見小学校に吸収され、渡子、田原、早瀬、明徳各校は明徳小学校の位置に対等統合されました。校名は明徳小です。
 この時新たな校区と異なる学校を選択した際、自己都合であるにも関わらず、通学費を呉市が全額補助していたのです。このことは一切議会に報告されることはありませんでした。

 それがこの度下蒲刈小学校の統廃合問題で、この矛盾した手法が初めて表に出ようとしているのです。
 先ず、下蒲刈小学校は全学年が複式学級になっていることから、同じ中学校区に1校しか小学校がない場合の統合を免除される特例も適用されません。呉市立学校統合基本方針における統合計画にはまだ計画遡上に載せられていませんが、方針に則り早晩統合することになるのでした。
 その際、教育委員会としては、吸収統合先として、第1候補を仁方小学校、第2候補を川尻小学校、第3候補として蒲刈小学校を位置付け、地元PTAに説明したのです。仁方と川尻へは、有料の安芸灘大橋を渡って本土に行く必要があります。
 蒲刈小学校へは無料の蒲刈大橋を渡ればすぐの向地区にありますので、距離的にも、同じ安芸灘の風土である点でも最有力と思える統合先ですが、これが第3候補になったのは訳がありました。蒲刈中学校にも同校区内には同小学校しかないのですが、1~2年生が複式学級になっていないことから統合対象校にはなっていませんでした。但し両校が統合しても、小規模校が解消されないというのがその理由です。
 そこで下蒲刈小PTAは、独自にアンケートを実施。その結果蒲刈小学校への移転統合が大多数の意見となったのです。施行時期は来年度からです。ただ、一部の意見として仁方小学校を望む児童・保護者がいて、その場合の通学費は全額呉市が負担するというのです。もしこれは自己都合であるから、公費負担を認めないと市教委が謳っていれば、その選択をしなかったことは明かです。逆にアンケート結果が、市教委の思惑通り仁方小学校が多数であれば、これは呉市都合ですから、全員に通学費の全額補助が出た訳です。
 この様に、自己都合で自由な選択を公費助成をセットで認めてしまうと、旧市内の統合に対して示しがつきません。旧市内と合併町では対応に違いがあることになり、施策が一貫してなく、不公平のそしりは免れません。行政は公平でなければならないのです。合併後の猶予期間は協定においても当面の間と記述されており、その当面の間の解釈は5年間とされているのです。下蒲刈町は呉市に吸収合併してから既に16年が経過しているのです。音戸町にしても学校統合当時は、合併後6年目に入っていたのです。一旦例外を作ると、その後ずうっと尾を引きます。
 そもそも何故音戸町の小学校統合時にそのような例外を作ったのか、不思議ではあります。今後この問題を明らかにして参りたいと考えています。
 学校統合には反対意見がつきものです。それを抑制し、できるだけスムーズに推し進めることで前市長が選挙対策として用いたと言われてもしかたないでしょう。

 一方、下蒲刈小学校の統合移転先にある蒲刈小学校は、同一敷地内に蒲刈中学校があります。元々蒲刈町には大浦に蒲刈小学校があり、一足先に向小学校の位置に対等統合した上で、校名を蒲刈小学校として創立した経緯があるのです。
 同じ敷地内であるため、この時何故一体型小中一貫教区校にしなかったのか、大いに疑問な訳です。しかも平成22年3月に改訂した呉市立学校統合基本方針には、わざわざ備考欄に、蒲刈小、蒲刈中共に「一体型小中一貫教育校」と記述されているのです。
 私は、平成26年6月定例会で、蒲刈小中学校における早期の一体型小中一貫教育校化、27年9月定例会では旧町境を越えての蒲刈、下蒲刈中学校と蒲刈・下蒲刈小学校とを同時統合しての一体型小中一貫教育校化すべしと一般質問しています。当時当局は、「研究する」という極めて後ろ向き答弁に終始した経緯があります。
 この度の下蒲刈小学校を蒲刈小学校に移転統合するに当たり、蒲刈中学校もセットで統合を行い、一体型小中一貫教育校を創立すべきなのです。このことに対して、市教委はきちっとした答弁ができないのではないかと推察しています。元々吸収統合先として仁方小学校を本命にしていたのですから、想定外だったか、思惑が外れたかのどちらかで、一体型小中一貫教育校は頭になかったというのが本音に違いありません。
 いずれにしても、来たる6月12日の文教企業委員会で、このことが報告されるはずなので、委員外ながら、最低この2点は糺して参る所存です。

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