街頭演説集

第303回 感染症対策を理由とした公共施設利用規制は憲法違反!

Facebook 2021.9.9

 昨日9月8日は303回目の街頭演説。テーマは公共施設利用規制に係る法的根拠についてです。
 最近、特に緊急事態宣言下でマスク着用の圧力が急激に高まって来ています。その様な中で、マスク着用やソーシャルディスタンスに応じない団体には、公共施設を貸さないという傾向が強くなっています。
 去る7月4日に、名古屋市の「ウインク愛知」において反コロナ講演会が開催され、私も弁士の一員として参加しました。会場は800席がほぼ満席状態となり、しかもマスク着用で来場された方はごく僅かという状況で、大盛況でした。
 その後主催者が、参加者に対し「2週間以内に咳や熱が出たか?」とのアンケートを実施した結果、238名の回答の内、僅か1名しか症状が出なかったことが判明。つまり、残り236名は、全く症状が現れませんでした。従って発症率は僅かに0.8%となります。その1名もこの集会が原因とは全く分かりませんので、これはソーシャルディスタンスそものに意味がないことを示唆しています。
 ところが、主催者が第2弾としての講演会を同じ会場で借りようとしたところ、「貸せない」と指定管理者が言って来たのです。この施設は愛知県有施設であり、管理運営を公益財団法人に県が指定管理として委託しています。
 そこで主催者が、県と指定管理者への連名で、指定管理者の住所に抗議文を郵送したところ、貸せない法的根拠を提示した上で回答が返って来ました。県からの回答はありませんでしたので、指定管理者が県に敢えて報告せず、独断で館長名での返信したことになります。

 その法的位置付けの第一は、愛知県産業労働センター条例としています。ここでも他の自治体の公共施設同様、施設の設置管理条例を掲げて来ました。これは高知県立施設の際、私が所管の県文化振興課長に対し、「条例違反には当たらない、虚偽である」と論破したところです。
 愛知県において具体的には、第3条2項において利用の許可に関し、「知事(指定管理者)は許可条件を付けることができる」というものです。これを基に「マスクやソーシャルディスタンス等感染症対策に従わせる」ことを定めているというのです。問題はこれらの許可条件が他の法令や憲法に合致しているか、これから検証して参ります。
 第二として、愛知県新型コロナウイルス感染症対策推進条例を挙げています。これは県独自の条例ですから、これを論破する必要があります。この第4条に県民の責務として、「正しい地域を踏まえ、新型コロナ感染症の予防等に務めなければならない」と記述しています。これは県民の努力義務規定と言えましょう。これしかありません。後で述べますが、この部分が欠陥条項なのです。
 第5条は、事業者として同様の努力義務を課しています。
 ここまでは県条例です。第三は、新型インフルエンザ等対策特別措置法を挙げています。この第24条に都道府県対策本部長の権限、第45条に知事による感染防止協力要請、を挙げてていました。
 特にこの3項には、「施設管理者が正当な理由がなく知事による要請に応じないときは、国民生活及び国民経済の混乱を回避するため特に必要があると認めるときに限り、当該施設管理者等に対し、当該要請に係る措置を講ずべきことを命ずることができる。」というものです。ここで言う施設管理者は、産業労働センターの施設管理者が該当します。ですから、指定管理者は、知事からおとがめがないように、ノーマスク団体に対し会場を貸さないという理屈を主張しているのです。
 但し、「正当な理由」がある場合は別ですし、「混乱を回避するために特に必要」かどうかは議論の余地があり、後で述べます。
 そして第79条です。これは上記第45条3項に違反に関し、「命令に違反した場合には、当該違反行為をした者は、30万円以下の過料に処する。」というものです。これは飲食や大規模集客施設等の管理事業者が知事による時短要請や休業要請に応じないことを想定した条文ですので、この度のケースでは直接関係ありません。

 これら一見もっともらしい法的根拠説明ですが、実は大きな欠陥がありました。
 先ずは、指定管理者が根拠に挙げている新型インフルエンザ等対策特別措置法です。第24条や第45条よりも前提となっている第4条を見てみましょう。これは事業者及び国民の責務で一括しています。これは新型インフルエンザ等(新型コロナを含む)対策への協力に努力義務を課している規定です。
 ところが、第5条に憲法の基本的人権がわざわざ盛り込まれているのです。即ち「感染症対策を実施する場合、国民の自由と権利への制限は、必要最小限でなければならない」として、これは努力義務ではなく、義務付けとしています。ということは、感染症対策よりも基本的人権の保障が優先されることを意味しているのは明らかです。
 つまり、マスクを着用するか否かは基本的人権の根幹に関わる部分であって、マスクの弊害から身を守る権利は等しく国民に補償されるべきです。これを超えて過度に人権を抑圧することは、現に慎むべきと謳っているのです。この人権擁護規定が、県の感染症対策推進条例から欠落しており、新型インフルエンザ特措法の理念を継承していないことが窺えます。結局、県の推進条例は欠陥条例であると言えましょう。
 しかもノーマスクを主張する人は、我が身を守るという「正当な理由」を有しているのであって、特措法第45条3項に掲げる「正当な理由」はあるのです。

 そして、特措法というのは暫定法ですが、それより上位に位置付けられる感染症法はどうなっているのでしょうか?
 この第4条は、やはり特措法同様国民の努力義務を課すと共に、「感染症患者等の人権が損なわれないようにしなければならない」と一括記述されていました。ここで言う感染症患者等の「等」とは、非患者も含まれると解釈されています。これは義務規定ですから、国民の基本的人権が優先されることを明快に謳っているのです。
 ここで整理しますと、

  1. 国民の感染症対策協力は努力義務、即ち任意
  2. 国民への人権擁護は義務で最優先

ということになります。この感染症法の理念を継承して特措法があるのですが、愛知県感染症対策推進条例では、②が完全に欠落していたのです。
 また、国家の最高法規と言われる憲法では、11条で基本的人権、12条で自由と権利の保障、13条で幸福追求権が謳われており、これらに違反する条例は全て無効となるのです。ですから、愛知県推進条例が根拠というのは全く意味をなしません。愛知県センター条例においても、知事や指定管理者による貸し館の許可条件に、ノーマスクやソーシャルディスタンスを初めとする感染症対策を、借りる側に強制することはできませんし、単なるお願いでしか過ぎないのです。
 このことは去る9月7日に私が呉市議会一般質問で確認しており、「マスク着用等は強制できるものではなく、お願いである」との答弁を引き出したところです。これが正解なのです。

 一方、感染症法第4条には、「国民は正しい知識を持ち」という文言が挿入されています。これを愛知県推進条例にも等しく盛り込んでいます。では、この「正しい知識」とは一体何でしょうか?首相官邸が主導して政府が進めている感染症対策が正しい知識なのでしょうか?厚労省は、自身のホームページにおける感染症対策に、何と「マスク着用」を外しているのです。ですからマスク着用が正しい感染症対策とは決して言えません。
 しかも、マスク着用が新型コロナウイルス感染症への予防効果を示すエビデンスを求めたところ、文科省は令和3年1月29日付けで、文書不存在を理由に不開示決定。国立感染症研究所も不開示となり、いずれもエビデンスを有しておりませんでした。加えて厚労省は、自身のホームページで、「感染者からの飛沫防止効果は期待できず、他人からの飛沫を防ぐ予防効果も認められていない」と公式見解を公表しています。
 更に厚労省は、無症状病原体保有者(無症状感染者)が他者へ感染させる可能性があるとしています。しかし、その根拠とするところは脆弱な台湾論文でしかなく、これは正確性に欠けており、もしこれを鵜呑みにしたとしても、研究結果は僅か0.325%しかありませんでした。そのような中で、令和2年11月20日にネイチャー誌に発表された中国論文に、「無症状陽性者の密接接触者全員が陰性反応を示した」と発表されました。即ち感染率ゼロだったのです。
 加えて、令和2年9月30日に奈須利江大田区議会議員が無症状感染者から他者へ感染するエビデンスを示せ」と迫ったところ、当局は「国や国立感染症研究所に問い合わせた結果、そのような論文を見つけることはできなかった」と答弁しているのです。つまり、2m以上離れてマスクを着用することが感染症対策と国は謳っていますが、その根拠は全くなかったことになります。
 ということで、何が「正しい知識」と言えるのか、国論が二分されており、メジャーな大衆意見は科学的知見を有してなく、その世論を背景に安易にアベノマスクを予算化することが正しかったとは決して言えないのです。勿論憲法19条では、思想・良心の自由を保障しており、21条では集会・言論の自由を保障しているのです。
 マスクを着用しなかったことや、定員を満席にしたからとの理由で、公共施設を次回から貸せないという指定管理者の判断は、この憲法19条や21条にも違反しており、決して看過できるものではありません。この様な間違った法解釈をしている、公共施設を管理する指定管理者に対し、各自治体は法的根拠に関して共有認識を図ると同時に、適切な管理指導をするべきだと考えます。

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